【限定】オンライン英会話の無料体験が4回に!

【あなたのプランB】1. 株式会社コンカー代表取締役社長:三村真宗

プランBとは「代替案」という意味の言葉です。

キャリアにおいて良質なプランBを持つことはとても重要です。

プランBがあれば経済的・精神的な余裕が生まれ、プランAにも良い影響がでます。

プランBの重要性は別の記事で説明していますのでこちらを参照ください。

プランBのすゝめ

プランBの形は人によって異なり、「転職」や「キャリアチェンジ」、「英語」などのスキル・資格でもあり得ます。

中には自分が準備するべきプランBとは何か、どうやってプランBを考えれば良いかわからないという人もいるでしょう。

そこで様々な方に「あなたのプランB」は何かをお聞きし、皆さんの人生におけるプランBの考え方の参考にしてもらおうと思いました。

第一回である今回は株式会社コンカー代表取締役社長の三村真宗さんに「あなたのプランB」について書いていただきました。

三村さんの「プランB」をまとめると次のようになります。

三村さんのプランB

それでは、三村さんのプランBを詳しく見てみましょう。

皆さんがプランBを考える上でとても有益な情報ばかりなのでぜひ参考にしてください。

自己紹介

はじめまして。株式会社コンカー代表取締役社長の三村真宗です。

今回はイシコさんの「良質なプランBを持つことで人生の選択肢を広げるだけでなく、今のプランAをより充実させることにも繋がる」という考えを聞き、強く共感したのでこの記事を執筆しました。

三村さんのプランB

近年、日本でも終身雇用制が急速に崩れ始めており、また働き方改革の進展と共に副業に時間を使うなど、企業と個人の関りはかつてなく柔軟なものになりつつあります。こうした潮流の中でキャリア形成は会社に身を任せるものから、個人が自分でデザインするものに変わってきました。

このような変化に対して私たちが持つべきマインドを見事に言い表したのが、Twitterで出会ったイシコさんが提唱する”プランB”という発想です。

プランBの一般的な意味は、本来の計画であるプランAがうまくいかなった時のバックアップとして持っておくべき代替案のことです。

これをキャリアにあてはめると…

  1. 本業の仕事をプランA、本業以外のキャリア上の選択肢をプランBと位置づける
  2. プランBを持っておくことにより、会社に隷属しないで済む
  3. プランBを次のキャリアビジョンとして研鑽することにより将来の可能性が広がる
  4. 同時に本業たるプランAがより充実する

という考え方です。

本稿は、これからプランBを描こうしている方々の参考になるよう、私のキャリアを振り返りながら、その大切さについて考察してみたいと思います。

(私の場合にはあまり副業的な発想をしたことがないので、プランB = 本業とは異なる将来のキャリアビジョンと言う観点でお話しを進めます)

順調そうに見えて実は軸のないキャリア

私は1993年に大学を卒業し、当時日本に進出したばかりのSAPジャパンに新卒の第一号として入社しました。前半の6年間は製品マネージャー、ERPの導入コンサルタントといった技術職。続く2年間は社長室長として経営企画的な仕事に従事し、2001年からの5年間は新規事業部門を統括しました。

2006年に13年務めたSAPジャパンを退職し、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。マッキンゼーで2年間務めたのち2社を経て、2011年から株式会社コンカーの初代社長に着任して現在に至っています。

技術職、社長補佐(経営企画)、新規事業の統括、戦略コンサルティング、そして現在の外資社長と一見して順調なキャリアに見えるかもしれません。

しかし実情は、最終的に社長になれたからよかったものの、社長になるまでの私のキャリアはしっかりとした軸がなく、技術職 ⇔ 事業職 ⇔ コンサルタント職の間をさまよう、下手したら”根無し草”になりかねいフラフラしたものでした。

君に背骨はあるのか

今振り返ると軸のない危なっかしいキャリアではありましたが、当事者の私自身は目の前の仕事に追われ、毎日それなりにやりがいを感じながら働いていたものです。

確たるキャリアビジョンがないままに日々を忙しく送りながら、気が付けば30代後半、世間ではアラフォーと呼ばれる年齢になっていました。

そんな時、お世話になっていたある経営者の方と食事をしている時に、その方が発した言葉が、自分自身のキャリアを見つめ直す大きな転機になりました。

「仕事をする上での背骨って分かるか?ぶれない強みのことだよ。それが自信の源泉にもなるし、働くうえでの拠り所にもなる。君は色んな仕事をして来た。どれも器用にこなしているけど、背骨がないんじゃないか?背骨を作りなさい。背骨がないと、40歳以降の人生はしんどいものになるぞ」

これはぐさーっと刺ささりました。うすうす気付いていたけど、忙しさにかまけて眼をそらしていた”宿題”を言い当てられ、「自分の背骨はこれです!」と言い返せなかったからです。

忙しい毎日を送っていると「充実して仕事してる気分」に浸れてしまうもの。そして多くの人はこう考えます。「いま忙しいし、それなりに充実している。将来のキャリアは“いつか”時間ができたら考えよう」と。

しかし多くの人にその“いつか”は訪れることもなく、月日ばかりが過ぎていきます。まるで夏休みの宿題のように億劫で手がつかない。私もそうやって30代後半まで歳を重ねてしまっていたのです。

その日からというもの「そうか、背骨がないまま40歳になるとしんどいのか・・・」と不安でもやもやした気持ちに苛まれる日々が続きました。しかし、いつまで悩んでいても前に進めないと思い至り、こう考えたのです。

「よし向き合おう。自分の背骨はなんだ?そしてなにを目指すんだ?」

自分を卑下するのはやめよう

「自分の強みとは何なのか」をあらためて深く考えてみることにしました。

技術も分かる、マーケティングも分かる、コンサルティングもできる、マネジメントやリーダーシップもある程度の自信はある。

いろいろできるけど、うーん、確かに軸がない。器用貧乏・・・

しかしネガティブに考えていても何も生み出しません。自分がしてきたことを否定するのはやめようと思いました。

「軸はないかもしれないけど、自分はいつも仕事に全力を注いできた。そのことだけは忘れず、誇りを持とう。だから器用貧乏なんて自分を卑下するのはもうやめて自分の強みに光を当てよう。」

そう思うと前向きに考える勇気が湧いてきました。

「掛け算」のキャリアで勝負する

何かに突出したスキルがある訳ではない。しかし、経験の幅の広さは強みになるはず。深さはないけれど、その分「技術 X 戦略コンサルティング X 事業立ち上げ経験 X 等々」といった「掛け算」で勝負すればいい。こうして自分の特徴や持ち味に光を当てようと発想を切り替えたのです。 

「自分はスペシャリストではなく、ジェネラリストだ。そうであればいっそのこと、”一流のジェネラリスト”を目指そう。経験の幅の広さを背骨にしよう」と考えることにしました。

それまで私の中にはジェネラリストよりスペシャリストの方が優れているという価値観があり、ジェネラリストの印象は、「手に職がない」、「専門性がない」、「スキルを極めていない」といった決してポジティブなものではありませんでした。

しかしジェネラリストのプラスの側面に着目しようと考えたのです。そうすると「オールラウンド」、「多様なスペシャリストを束ねられる」、「環境適用力がある」、といくらでも前向きな特徴があることに気が付きました。

ジェネラリストが目指すべき職業とは

そのうえでジェネラリストが目指すべき将来のキャリアは何なのかを考えました。

自分は一芸には秀でてないから、総合力で勝負するしかない。格闘技で例えるなら、パンチはボクサーに劣り、寝技は柔術家やレスラーに劣る。それぞれの土俵では負けてしまう。ならばパンチもキックも寝技もある”総合格闘技”さながらに、総合力で勝負しようと発想しました。

最も総合力を求められる職業とはなんだろうと考えても、答えの出ない日々がしばらく続きました。

そして行きついた答えが 「社長になる」。あらゆる職種を束ねる社長こそもっとも総合力が求められる仕事なのだと、考えてみれば極めてあたり前の答えに辿りついたのです。

ヒリヒリした時間軸があってこそビジョンは機能する

目標が決まったら次に考えなければならないのは時間軸です。ビジネスのビジョンにしても、キャリアのビジョンにしても、具体的な時間軸を伴わないビジョンは「単なる努力目標」に過ぎずビジョンとして機能しません。「いつか達成する」ではダメなのです。

ビジョンをビジョンとして機能させるためには、以下の三つの要件を満たす必要があります。

  1. 達成したらすごい!とワクワクできる
  2. 背伸びしないと手が届かない、でも不可能ではない目標の高さ
  3. もたもたしていては達成できないヒリヒリした時間軸

少し頑張れば達成できるような、ほどほどの目標はビジョンとして機能しません。ビジョンを実現させるのに不可欠な緊張感も集中力も必要としないからです。

ビジョンには不可能ではないけれど相当に頑張らないと達成できない「絶妙な難しさ」が必要です。絶妙に難しい目標をセットすることで、焦燥感を感じながら背伸びせざる得なくなる。そうして成し遂げた先にこそ大きな成功や成長が待っているのです。

社長になる時間軸を考えるのに参考にしたのが、SAPジャパン初代社長の中根滋さんと二代目社長の藤井清孝さんのおふたりでした。若い頃の私を厳しくも暖かく育ててくださった永遠のメンターです。おふたりが社長になられたのは、奇しくも同じ42歳。このことを念頭に自分もあと3、4年、42歳までに社長になろう、という目標を置きました。

「自分にできるのか」という不安と戦う

「社長」というのは、自分ではないほかの誰か、そう、“飛び切り優秀なスーパーマン”がやるものと思い込んでいました。だからキャリアに真剣に向き合うその時まで、自分が社長をやるなんて想像もしていなかったのです。

「将来、社長を目指す」と考えてはみたものの、一方で「自分にできるのか?」という強い不安がありました。当時の私はスキル的にもメンタル的にもその準備ができていなかったから当然のことです。

でも一方で、将来社長になり社員と一緒に夢のあるビジョンを追いかけている。そんな光景を想像するとワクワクとした高揚感を感じる自分も居るのです。SAPの新規事業を担当していた頃、「この新事業をSAPの第二の成長の柱にするんだ」というビジョンに魅かれて集まった若手社員たちと燃えるように仕事に打ち込んだのを思い出しました。

今は力が遠く及ばなくても、不安よりもこのワクワク感を大切にしよう。そしてゆっくりと、でも着実に、将来、社長になる努力をし続ければ、今感じている不安は薄れていくはずだ。そう思うことにしました。

* * *

少し余談。

「社長になる」という目標を身近に感じない方も多くいると思います。しかし私が社長を志した10年以上前から比較すると、特に外資ITでは近年ぐっと社長になる機会が増えました。

当時、ITのメジャープレイヤーは、SAP、オラクル、IBM、HPといった巨人ばかりでしたが、近年はクラウドの普及と共に、本社が数百人規模と比較的小さい、でも急速に成長する可能性に満ちたSaaS企業の日本進出が相次いでおり、社長人材の不足が課題になっているほどです。

営業経験がなくても社長になれるのか

外資系IT企業の日本支社は本社から見れば”販売拠点”です。そのため圧倒的に営業出身の社長が多く、非営業出身で成功を収めている社長はごく少数に過ぎません。

私は営業職を部下に持った経験はありますが、自分自身が予算を持って営業職をした経験はなく、その面で自分はそもそも社長になる資格を満たしていないのでは?という疑問を感じました。

外資IT企業では営業はある種の”花形”職種です。私が新卒から13年間在籍し社会人としての価値観を育んだ20年以上前のSAPジャパンでは「営業がチャンピオン」であり他部門とは一線を画している雰囲気が色濃く流れていました(近年のSAPジャパンはだいぶ変わったと思います)。営業職以外は傍流という感覚です。技術職からキャリアをスタートした私は営業職を経験する機会がなく、そのことは私にとって大きなコンプレックスになっていたのです。

でもそんな常識や前例に囚われてコンプレックスに押しつぶされてはいけないと考えることにしました。むしろ「営業経験がなくても外資系IT企業の社長になれる。自分がそのことを証明し、非営業の若い人たちに夢を与えたい」と考えることにしたのです。

外資IT企業で営業出身の社長には、伝説的な名社長が数多くいます。一方で落とし穴があることも事実。営業出身社長は、ほぼ例外なく「元スーパー営業」だっただけに、自分が営業活動の最前線に立ちたがる傾向があります。背中を見せるのはよいことです。しかし度が過ぎると「社長の肩書きを持った事実上の営業マネージャー」になってしまいかねません。

そうなると社内に目が向かず、ビジョン作り、戦略作り、文化作りといった本来社長がやるべき、いや社長にしかできないファンダメンタルなタスクがおろそかになってしまいます。このような会社は好調な時はよくても、業績不振時など守りに弱い。結果として数年で行き詰まり社長の座を去って行った元スーパー営業の外資社長を数多く見てきました。

自分はジェネラリストならではの社長を目指そうと考えました。営業出身ではない分、案件の最前線で営業達を従えて提案を引っ張ることはできない。しかしその分、営業が営業しやすい土壌を整えよう。そしてビジョン、戦略、文化のような、社長にしかできない会社の骨格をしっかりと整える。それに加えて本社との開発交渉、PR・マーケティング、外部へのメッセージ発信などといった、今までの”浅いけど幅広い”ジェネラリストの経験を活かして総合力で勝負しようと考えました。

こうして営業経験がないという自分の”コンプレックス”を逆に”持ち味”に転換して跳ね返そうと決意したのです。

このような思索を日々重ねながら自分が目指すべき社長像はどんどん具体的なものになって行きました。

キャリアビジョンを学習の原動力にする

キャリアビジョンを持つと、「一日たりとも無駄にしていられない」という、いい意味での焦りを感じます。これが仕事や学習に今まで以上に真剣に取り組む原動力になります。

英語学習がよい例です。本格的に英語学習に取り組んだのは40歳に差し掛かった頃でした。ちょうど仕事に余裕ができたのを機に、英語の苦手意識を克服する決意をしました。

当時のTOEICのスコアは795。一般的な水準からは高スコアですが、外資社長で795なんてお話しになりません。なんとかこの苦手意識を克服しようと1年間、徹底的に勉強しました。本当に朝も夜も英語漬けです。その結果、TOEICは945にアップし、英検1級にも合格。今でも英語は得意とは言いませんが、少なくとも仕事で困ることはなくなりました。

(英語の学習方法の詳細は私のnote『「最高の働きがいの創り方」のコラムを公開 – 40歳から1年間で英語をマスターした勉強法を参照)

起業の夢と挫折を味わう

当初私が思い描いていたのは外資社長になるイメージでしたが、2010年頃、思いがけず起業にチャレンジすることになりました。

今のUberに似た構想です。当時、タクシーの配車には数十万円もする専用端末と専用回線(専用なので堅牢だが回線利用料が高額)が使われていました。いわゆるクローズドなシステムです。これをオープン技術に置き換える – 市販のタブレット端末と3G回線を使い、システムもクラウドで提供することで安価で高機能のサービスを提供できる。そして車両等、移動体の位置情報をクラウドで管理することにより、バスやトラック等、商用移動体ビジネスにおけるITインフラを提供できると考えたのです。今風に言うとMaaSの発想です。

技術の変わり目には必ず大きな市場が形成される。タブレットの進化、回線の高速化、クラウド普及、等々、パズルのピースがピタリとはまった感覚があり、「これは行ける!」と思いました。

このアイデアをある輸送ビジネス企業の経営者に話したところ、「リリースされたら採用するので、思い切って起業しなさい」と力強い言葉を頂いたのに意を強くして自分の会社の起業に着手しました。

手持ちの預貯金をすべて資本金として注ぎ込み会社を登記。投資家向けの事業計画書を準備したり、外部の開発会社にプロトタイプの開発を委託するなど、水面下で事業化の準備を進めました。

* * *

すこし余談。

2010年当時の起業環境の厳しさに少し触れたいと思います。デモ版の製品は手持ち資金で完成したものの、商品化のためにはより多額の資金が必要でした。そのためベンチャーキャピタル(VC)や銀行に資金調達で奔走しましたが、外部資金の調達のハードルの高さを痛感することになりました。

  1. 資本出資なのに、失敗の場合は代表に返済責任
  2. 融資には代表の個人保証が必要で、事業が失敗した場合は代表個人に返済責任

これではもし事業に失敗したら再起不能に陥ってしまいます。数回の起業失敗を糧に成功者が生まれる米国と異なり、日本の起業には敗者復活がない、と聞いたことがありましたが、こういうことなのかと思い知らされました。
(※ これは2009-10年頃の話しで、現在の起業環境は改善されているのかもしれません)

* * *

なんとか手持ち資金のある間に形にしたいと奮闘しましたが、事業化の途中で技術的な壁(通信コストの問題)に直面。プロトタイプの開発などで費用がかさんだことも重なり自己資本を使い切った時点で事業化を断念しました。

大きな挫折感を味わい、貯金もすべて失いました。まさにどん底です。身を引きずるように応援してくださった方々への挨拶だけは一通り終えましたが、その後は喪失感が強く、しばらくの間、なにも手をつけられなかったのを覚えています。

しかし後悔はありませんでした。資金調達等、外資系の事業部門の立ち上げでは絶対に得られない経験ができたし、短期間で起業することの夢と挫折を一気に体験できたから。

どん底から巡り合ったチャンス

起業を挫折したのはつらい経験でしたが、それは思いもかけない方向へとつながって行きました。

世の中には失敗を恐れてリスクを犯さずじっとしている人も少なくありません。しかし動かなければ失敗しないで済むけれど、チャンスも巡って来ません。起業ではどん底を味わいましたが、リスクを取って走り回っていたことが、想像もしなかった次のチャンスを引き寄せたのです。

起業の過程で出資交渉をしたベンチャーキャピタルの一社が、日本オラクルを創業したアレン・マイナーさん率いるサンブリッジでした。当時、サンブリッジは、コンカー本社の日本進出をサポートしており、コンカー日本法人の会社登記は2010年10月に済ませたものの、社長人材が見つからず困っていました。適切な社長抜きにしては事業の立ち上げは困難と考え、日本市場への進出中止を具体的に検討していたところだったのです。

アレンさんに「起業を断念したので出資は不要です。お世話になりました」とお伝えして数週間ほど経ったころでしょうか、「会って話したい」というご連絡をいただきました。なんのことだろうと出向いたところ、「日本に進出しようとしているコンカーというおもしろい企業があるので、社長を引き受けてもらえないか」とのお話しを頂いたのです。

まさにどん底からの青天の霹靂のような展開でした。

その頃には、大手IT企業への事業売却が成功して資金はある程度戻っていたこともあって起業失敗による憔悴もだいぶ癒えていました。

数日ほど考えたすえ、世界でデファクトスタンダードになっているコンカーは、間違いなく日本でも大きな市場を作れるはず。やるからにはクラウドビジネスの歴史に残るような”急速立ち上げ”を実現する、と志を高く持って引き受ける決意したのです。

夢のようだったプランBが、プランAにとして現実になった

コンカー本社との一連のインタビューは順調に進み、2011年10月1日に株式会社コンカーの初代社長に着任。

私の年齢は、SAPジャパンの社長に着任された当時の中根さん・藤井さんと同じ42歳になっていました。

いざ社長になるチャンスが訪れても、「自分に務まるのか?」という不安はもはやありませんでした。来るべきプランBに向けて心理的にもスキル的にも準備をしてきたから。起業での挫折の経験も「あれ以下はない」といういい意味での開き直りにつながりました。

こうして30代後半に思い描いた「社長になる」というプランBは、数年後にプランAとして現実のものになったのです。

ジェネラリストらしい社長になるという戦略を描きましたが、これはある程度、実践できた気がします。ビジョン、戦略、文化作りといった社長がするべき会社の基盤づくりにしっかりと取り組み、またそれに以外の分野でも過去のジェネラリストとしての経験が存分に活きています。

例えばコンカー本社との取締役では、マッキンゼー時代を思い出しながら本社経営陣をクライアントと見立て、私なりにマッキンゼー品質の報告資料を作成することで本社から絶大な信頼を獲得できました。また起業を挫折した経験も、本社との増資交渉等、特にファイナンス面で知識を活かすことができています。

私の経験が薄い営業面は、幸いにも人柄的にも能力的にも極めて優秀で心から信頼できる営業責任者と出会えたことにより、営業の現場は彼に任すことができました。私は経営層への訪問など、要所要所で提案に関与しています。

余談ですが、この営業の責任者にとっても、営業出身の社長にマイクロマネジメントされるより、全面的に任されたことに強いやりがいを感じると言ってくれています。これからの外資IT企業における経営の成功モデルは、営業出身社長が超人的な能力で営業と経営の両面をこなすスタイルだけでなく、非営業だけどバランス感覚があり視野の広い社長が辣腕の営業責任者と分業で経営するスタイルが徐々に広がって行って欲しいと思います。

立ち上げ当初の2年ほどは苦労したものの、その後は急速に成長し、コンカーの日本法人は今では社員数で286名に成長。トヨタ自動車をはじめとして日本の時価総額トップ100の46社に採用(2020年5月時点)され、事業規模では日本一国でUK・ドイツ・フランスの欧州主要三カ国の合計に匹敵するまでになりました。

また近年では、社員の働きがいを徹底的に追求した経営が評価され「働きがいのある企業」ランキングで2018年から3年連続で1位(中規模部門100-999名)を獲得。働きがいの文脈でも注目されるようになっています。

30代後半に突き付けられた「君に背骨はあるのか?」という、厳しくも愛情のこもった箴言。

もしも、あの時、この言葉に出会うことがなく、真剣に自分のキャリアに向き合わなかったらと思うと恐ろしくなります。おそらく社長になるというプランBも持つことなく、器用に仕事はこなすけれど、軸のない別のキャリアを送っていたことでしょう。

このように私のキャリアは、プランBを持つことで大きく変わったのです。

これから先のプランB 

社長を引き受けてからもうすぐ9年になります。外資社長の寿命はせいぜい2,3年だと思っていたところ予想外に長期間になりましたが、今もマンネリとは無縁のワクワクした毎日を送っています。そんな今、どんなプランBを考えているのかをお話しします。

ここ数年は本業の外資IT企業の社長とは別に「働きがい」と「人に教える」という二つの背骨を意識しています。

「働きがい」の面では、「働きがいのある企業」ランキングでの3年連続1位や、働きがいをテーマにした書籍「最高の働きがいの創り方」を出版したことにより、講演で話したり、他の経営者の相談に乗る機会が増えました。働きがいを大切にしたことが結果として高成長につながった経験から、世の中の経営者に働きがいの大切さをもっと理解してもらいたいという想いで発信活動を続けています。

もうひとつの「人に教える」という面では、社外では数人の外資社長にメンターとして助言したり、社内では「三村塾という名のプレゼン講座」や「フィードバック講座」を開催して私自身が講師として社員に教えるなど、人を教え、育てることに大きな楽しみを感じています。

どちらも他者に貢献している感覚があり、日々の深いやりがいにつながっています。またそればかりか、企業への働きがいの講演がきっかけで営業案件につながったり、プレゼン講座をほぼ全社員が受講した結果、会社全体の資料の質が向上したりと、本業にもよい影響を及ぼしています。

こうした新しい「背骨」を活かして、将来歳を取ったら何をやろうか時々考えるようになりました。教鞭を取る、執筆活動、投資家として若い経営者を育成、等々、プランBのアイデアは尽きません。

私は忙しくしてないとダメな性質なのですが、どうやら幸いにして歳を重ねても暇になることはなさそうです。 

キャリアの行く末に向き合ってみる

自分のキャリアの行く末に真剣に向き合っている人はどれくらいいるのでしょう。

忙しいとどうしても近視眼的になり5年後10年後のキャリアなど考える余裕がなくなるもの。現に私自身がそうでした。

でも私の場合は幸運でした。たまたま「背骨」の箴言を得たことにより、真剣にプランBに向き合うことができたから。

さあ、皆さんのプランBはなんですか?

もしかしたら、まだ考えていない方が大半かもしれません。けれど、もしこの文章を読んで少しでも感じるものがあれば、ちょっとだけ立ち止まって、あなた自身のプランBに向き合ってみてはいかがでしょうか。

皆さんが思い描くプランBは、どんなものでもいいのです。

一点だけ注文をつけるとしたら、「そのプランBを思い描くとワクワクできるもの」がよいでしょう。プランBを叶えるために、せっかく時間を掛けて努力することになるのですから、”想像しただけでワクワクできる未来の自分”になりたいじゃないですか。

やる前から「自分の実力じゃ無理」なんて絶対に思わないでください。私だって社長になるなんて想像もしていなかったし、最初は不安の方が大きかった。

自分を信じて夢に向き合うことこそが、夢の実現に向けた第一歩になる。5年掛かろうが、10年掛かろうが、勇気を持ってその一歩を踏み出した人だけが、いつの日にかプランBがプランAへと変わるチケットを手にするのです。

もう一度、聞きます。

あなたのプランBは、なんですか?

皆さんが思い描く一人ひとりのプランBが叶うことを心からお祈りしています。

 

* * *

<追伸> 

3,000文字を目途に書き始めたのがつい力が入ってしまい(汗)、1万文字に及ぶ長文になってしまいました。最後まで読んで頂き深く感謝いたします。この文章を読んだ方とどこかでめぐりあい、おひとりでもいいから「キャリアを考えるきっかけになった」なんて聞けたらこれ以上に嬉しいことはありません。

いつか皆さんとそんな会話ができることを楽しみにしています。 

まとめ(イシコ)

本コラムを開始するにあたり、トップバッターにはぜひ三村社長にお願いしたいと考えており、ダメ元で思い切ってツイッターのDMで打診してみたところ、ご快諾いただき今回の掲載に至りました。(リアルでは考えられず、これもツイッターならではだと思っています)

キャリアを拝見すると、それだけで我々読み手の背筋が伸びるような煌びやかなキャリアを歩まれている三村社長。

そんな三村社長も30代後半まではがむしゃらに働いていたある日、「背骨はあるのか」という箴言が大きなキャリアの転機になったのは意外でした。

その背骨が「一流のジェネラリスト」であり、その先のプランBとして「社長になる」と決意され、後にプランAへ昇華し実現。
(まさかこのコラムのプランBで「社長になる」というお言葉を想像しておらず、驚きました笑)

ツイッターの発信を見ても、「人に教える」ことにずば抜けて長けていらっしゃり、尚且つ好き(社員にツイッターのアドバイスをするくらい笑)であることを感じているのは恐らく僕だけではないかと思います。

きっと近い将来、現在の三村社長の将来のプランBが、プランAに昇華するだろうと個人的には確信をしており、また一ファンとして楽しみにしています。

三村さんの「追伸」にもありますが、当初は3000文字を目安で、とお伝えしておりましたが、三村さんの溢れんばかりの想いと、惹きこまれてしまう文章力に、僕自身も運営者の立場を忘れて、気付けばついつい夢中になって読んでおりました笑。

僕自身も自分のキャリアをもう一度見つめ直す絶好の機会となり、感謝申し上げます。

少しでも多くの方に三村さんの想いが届くように微力ながら発信を継続して参ります。

<三村さんのプランBからの学び>

  • 時には立ち止まり、自分のキャリアの「背骨」について考える
  • プランBをいつかプランAに昇華させることができる
  • プランBは時代や立場によって刻々と変化する

この度は本コラムへの寄稿いただき改めて御礼申し上げます。

引き続きツイッター上でもどうぞ宜しくお願い致します。

この記事を書いた人

三村 真宗(みむら まさむね)

1993年 慶應義塾大学法学部法律学科卒業、同年 新卒第一号としてSAPジャパンに入社。マッキンゼー・アンド・カンパニー、電気自動車ベンチャーのベタープレイス・ジャパン等を経て2011年から株式会社コンカー 代表取締役社長に就任

Twitter|@Masa_Mimura

Facebook|facebook.com/masamune.mimura

プランBのすゝめ  

7. あなたのプランB

この記事を読んでわかるように、成功している人の多くはプランBを常に考えて行動しています。

強力なプランBがあることでプランAはより輝きます。

副業(プランB)という副収入があるから本業(プランA)の選び方が変わる、転職の選択肢があるから本業でも挑戦できる、英語を勉強すれば仕事、生活の幅が広がる。

自分に最適なプランBを考えて、人生をより豊かにする生き方を見つけましょう。

「プランBのメリットとは何か?」「どうやってプランBを考えて良いかわからない」という人は、まず僕が説くプランBを読んでみてください。

プランBのすゝめ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です